Dr.T's room

相談員を生業とし音楽家を生き甲斐とする2児の父の話

かのかが空になったので

色々あって南島で暮らしている幼馴染より要請があったので、ブログを始めることにした。

 

ちょうど飲んでいるかのか(麦焼酎)も空になったので、このブログを書いたら寝よう。

 

僕は相談員をしている。

 

立場上、毎日さまざまな人生に触れる。

再就職を目指していたり。引きこもっていたり。ゴミ屋敷で暮らしていたり。他者とのコミュニケーションで行き詰まりを感じていたり。

 

そういった相談を聞くことは、自分1人の人生では到底間に合わないくらいの悲喜交々を他者を通して味わえていることと同義だ。

 

贅沢な仕事だと思っているし、天職だとも思っている。

なにせ僕はびっくりするくらい人に興味がある。

 

そんな仕事を生業としている僕は、音楽家を生き甲斐としている。

 

15の春から37の今に至るまでバンドマンをアイデンティティとしている。

 

担当楽器のベースのテクニックは恐れ多くも高いとは言えないレベルだが

 

幼馴染のギタリストから届いたリフを編曲する時

その曲にメロディと詞を書きボーカリストに歌ってもらった時

さらにそこに僕が世界で1番ラップが上手いと思っているラッパーがラップを乗せた時

そしてそれをバンドのみんなで爆音で鳴らした時

 

心底ワクワクして生きてて良かったと感じる。

 

もう一つ。僕は2児の父でもある。

 

このアイデンティティは生業よりも生き甲斐よりも後に手に入れたものだ。

しかし、1番比重が大きく重要なものだと思っている。

 

子供は儚い。

現状把握も未来予測もクソもないので、油断するとすぐ生命の危機に瀕する。

 

そんな生き物を育てることは、なかなかのミッションだと日々感じている。

 

しかし『お父さん大好き』の一言だけで、承認欲求の充足や使命感の発露など半端ない感情が動くので、生きてくれているそれだけで大きなインプットなんだろうなとも思う。

 

生業と生き甲斐と役割が、上手いこと相互に作用している現状は、すごく奇跡的なのだろうなと感じているので、ブログを始めた第一筆目に残しておく。

 

まぁどれも瑕疵が無いわけでは無いけれど、その全てに期待を抱けている時点で満たされていると言っていいのだろう…と思っている37歳のある夏の夜の話でした。

 

f:id:unkleDrT:20230801013007j:image