住んでいるハイツが取り壊されるとのことで、立ち退きを言い渡された。
立ち退きは人生2度目だ。
郷愁メランコリックにて歌っている箱庭の狭小住宅が、父の借金のカタに差し押さえられることになり、弟と母とアパートに逃げ落ちた。
(※父は現場を求めて東の都へ旅立った。今は母と暮らしているけど)
あのアパートの都落ち感ったら無かった。
隣に外国人労働者が鮨詰めで暮らしていた(そして突然全員いなくなったり、入れ替わったりしていた)
洗濯機、風呂、トイレの水回り3点セットが同じ空間に収まっていた(ユニットバスって感じでもなかった。なんだったんだあれ)
野良猫が山ほどいた
そんなあのアパートは、元々貧困街のあの街の中でもそれなりにゲットーなスポットだったんではなかろうか。
26の時に以前書いた「あの部屋」に住んだ。
あの部屋は良かった。
僕のやや遅めの青春の部屋だ。
地方から大学に進学して初めて一人暮らしをした子がするようなことを僕は26〜30の間にしこたました。たこ焼き器でアヒージョをしたりとか。
今のハイツには結婚を期に住みだした。
小汚いが愛しい故郷を捨て、妻の実家のあるこの街にやってきた。
この街は隣接こそしてないが同じ学区の市(というか僕はこの街の高校に通っていた)なので、捨てた感も、知らない土地に来た感も実はさほどない。
8年暮らした。
良い思い出も悪い思い出も死ぬほど詰まっている。
自ら望んで親になったが『自分のリソースを自分以外に全力で割く』って中々平常心でいられないものだ。そんなことをこの家で日々味わった。
このままここに住むといつか手狭になるなぁとは思っていたが、いかんせん日々に追われすぎていて、引っ越しなんか話題にも上がらないまま、この春上の子は小学校に上がってしまった。
幸い楽しく通学しているし、出鼻をくじいてやりたくはない。
なので、家を買うことにした。
今の家から2分くらいの場所に良い感じの安い建売が売ってたので、そこ一択だ。
家族で内見に行った。
新築だ。新築の匂いがする。
うちには僕の布団へオシッコをかける隙を一日中狙っている雌猫と、人間を見るといつ何時でもエサを要求する黒い雄猫がいる。
おまけにうちの子供達はモンスターだ。
食べ物はこぼすものだと思っているし、ペンのキャップなんか閉めたら死んでしまう呪いにでもかかっているのかってほど閉めない。
非常に不安だ。こんな素敵な家にあんな無法者達を放つだなんてもったいないにもほどがあるんじゃないか。
でも、あの家には階段があった。
階段は、あの箱庭の狭小住宅以来だ。
生家は階段を上がると正面にクソ狭いベランダがあった。
小学校から帰ると母か祖母が洗濯を干していたあのベランダ。
鍵を忘れた姉を、隣のおばちゃんが自分ちのベランダから入れてくれたあのベランダ(隣家とはニコイチ物件でこそなかったが、限りなく隣接していた)。
ベランダの横には、家族全員で寝ていたクソ狭い寝室があった。
家を追われる直前は(今思えば)精神的に追い詰められていた母の心象風景が現れていたのか、物でごった返していたあの寝室。
その隣には子供部屋が並ぶ。
手前の通り部屋には姉のピアノがあった。
思春期の姉の苛立ちを一身に受けたあのピアノ。
姉が家を出る際、引っ越し資金として泣きながら売っ払ったあのピアノ。
奥の部屋が僕の部屋だ。
六畳間の和室に弟と僕の机と2段ベッドがギチギチに詰め込まれている。
少年期から家を出るまで何度もお泊まり会を繰り広げたあの部屋。
弟に対して何度も強権(主にゲームやテレビの主導権)をふるったあの部屋。
あの階段を最後に降りてから20年以上経ち、僕はやっと階段に戻ってきた。
そのことが一番テンションを上げた。
なぜ階段がここまで気持ちを揺さぶったのかは全然わからない。
階段を追われた人間なのだ…というコンプレックスでもあったのだろうか。何コンプレックスになるのだこれは。
次の家は2階にリビングがある。
うちの家族のキャラクター的に階段を登るとそこにドラマみたいな暖かい家庭が待ってるわけはないし、すぐにモンスター達が荒らし放題の惨状になるのは明らかだけど。
でも、いいや。俺は階段に戻って来れたんだから。
階段に免じて少し心を広く持とうじゃないか。
…引越しは憂鬱で仕方ないが。
あとここまでツラツラ書いといてローンに落ちたらどうしよう…
こんなに階段の話をしておいて、階段の写真は撮り忘れているDr.T