Dr.T's room

相談員を生業とし音楽家を生き甲斐とする2児の父の話

あの頃の話

18〜25歳の7年間、旅行を趣味としていた。

 

バンド仲間の親友と3人で日本全国津々浦々を旅していたのだ。

 

たしかきっかけは『原付で無茶をしたい』とかそんなんだったと思う。

 

おっさんになった今では考えるだけでゲンナリするが、あの頃は本当に『非効率』こそ1番面白かった。

 

冷静に分析すると『金はないが時間と体力がある=非効率なことをする』なので、若者の衝動の発散としては、まぁまぁ文脈が通っている。

 

有り余る時間と体力を効率的に消費する財力が僕たちには無かった。

 

最初の旅は原付で10数時間かけて、三重に行った。

帰りの道程はほぼ覚えていない。

ほとんど無意識で仲間の声かけでなんとか目を覚ましながら運転していたためだ。

 

行きは結構覚えている。

 

数時間走った山奥の国道が土砂崩れで封鎖されていたこと。

 

道中の電光掲示板からの通知で僕だけがその事実に薄ら気付いていたが『まさかここのことじゃないよな…』という楽観で黙っていたこと。

 

迂回した獣道を原付を持ち上げながら進行していたら、明らかに不法投棄の高級車が落ちていたこと。

 

山奥のお地蔵さんに自分たちのCD‐Rを供え『ミクスチャーロックを変えられますように』と手を合わせたこと。

 

宿ももちろん取っていないので、コンビニの駐車場で車止めを枕にして寝たこと(一応、夜勤のバイトの人にお願いはした)。

 

現れた田舎ヤンキー達に絡まれるも、僕以外の2人(両方フロントマン)のコミュ力で仲良くなり、お地蔵さんと同様CD‐Rを渡してことなきを得たこと。

 

37歳になった今もまだまだ思い出せる。

 

 

さすがに2年目以降は車での旅になったし、途中から社会人になったので安宿も取るようにはなったが、一貫してめちゃくちゃ綿密なプランは立てなかったし、立てることを良しとしなかった。

 

『決まってない方が面白い』という価値観があの旅の根底には流れていた。

 

予定をこなす道程じゃなかったから、今でもこんなに思い出せるのだと思う。

 

 

 

毎年恒例の旅は不意に終わった。

 

メンバーが1人、交通事故でこの世を去ったためだ。

 

姉から『人生には渦中にいる時から「あの頃」と表現したくなる時期がある。なんかその真っ最中からセピアがかっているような。あの頃のあなた達はまさに「あの頃」だった。そして、そんな時期はなんとなーく終わっていって、後から笑い合って思い出せるからいいのに、あんなに不意に終わるなんて、側から見ててもとても切ない』と彼の死から何年後かに言われたことがある。

 

いや、渦中ではフルカラー全開だったぜ!と言いたい気持ちはあるが、納得はした。

 

彼がいなくなったことで、嫌な神格化というか、一個含みを持った『あの頃』に変わってしまった感はあるが、もし生きててもどうせあんな旅は家庭や仕事で出来なくなったろうし、汚い居酒屋で『あの頃のような旅がしてぇなぁ』と管を巻いていたことだろう。

 

それでよかったんだけどな、言っても仕方ないけど。

 

まぁ、なぜ、こんなことを急に思い出したかと言うと、彼のことを綴ったラップを今週末にスタジオに入って録音することになったから&先週末に家族旅行に行ったからだ。

 

家族旅行は楽しかった。

しかし全てのエンターテイメントを子供に全振りした旅は疲労度が半端無く、もし彼が生きているパラレルワールドの僕なら速攻で『あの頃の旅と違ってよぅ…いやーパパって大変やわ』とLINEしているように思う。

 

ラップにはそんな気持ちを全部乗せた。

 

13年も前のことなので、未だ整理がつかないなんてことは正直無いが、彼のことを改めて思い出し、自分のアートとして昇華する作業は、また一つ新たな整理の付け方になったのではないかと思う。

 

恥ずかしくないレベルの音源が作れたら、世に出そうか迷い中である。

Dr.Tは基本ベーシストなので、自分の歌唱はちょっぴり恥ずかしい。

 

まぁ要約すると『今まではタイムマシンが欲しかったが、今はワームホールが欲しい』そんな歌が書けた。

 

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数年前、残りの2人で再訪した思い出のコンビニ。駅前なのにおもっきり潰れてた

 


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レンズに汗が付着し夢の中みたいに映ったビーチ

&キリンにがっつり手を食べられている息子