Dr.T's room

相談員を生業とし音楽家を生き甲斐とする2児の父の話

薄ら笑う兄

弟と酒を飲んだ。

 

彼が産まれたのは、僕の4歳が終わりかけるある11月だった。

 

確か夜中に生まれたはずだ。

産まれる直前のある夜に名前を『ユータ』にしようと熱くプレゼンしたことを覚えている。

多分、4歳の僕のチョーカッコいいと思っていた名前だ。

家族の賛同は全く得られず、結局僕と一字違いの名前になった。

 

本人がどう思っていたかわからないが、僕なりにこの5つ下の弟を可愛がった。

 

5つ下というのは割としっかりした歳の差で、中学が同じになることはもちろんないし、小学校もラスト2年だけ被るくらいのものなので、兄弟の関係性によっては結構疎遠になるはずだ。

 

しかし僕は気になって仕方なかったので、なにかとかまった。

物心付く前後には当時僕が激ハマりしていたSDガンダムや戦隊モノを熱心に布教していたし、音楽も僕のハマっていたラルクやBUMPをコンコンと聴かせ伝えた。

 

V系については泣くほど嫌がったが、ギターロックは性に合ったようだった。

そこを入り口に僕が専攻していない路線の音楽に傾倒していき、気付けば僕よりもがっつり目のバンドマンとなっていた。

 

僕が学生の頃ハマり倒していたバンドマンと言葉や酒を交わしたり、フェスで共演したこともあったという。

生意気な奴めとも思うが、ちょっぴり自慢でもある。

 

そんな彼は、とても弟(もしくは末っ子)然としている。

いつも大体だらしがなくしているし、いつも大体生き方に迷っている。

まぁうちは三姉弟で、僕の上に更に姉もいる。

末っ子オブ末っ子なので、そらそうなる。

 

 

今宵も何やら降って湧いた転機に対し、迷いを抱いているようであった。

 

こういう時、兄は多分金言となる言葉を吐いた方が良いのだが、互いに30を超えているので生き方がどうこう言われても困るし、道標を兄が与えるにしては少し年嵩な気もする。

 

しかし『知らんがな』と切り捨てるほど彼に興味が無いわけではない。

僕が初めて獲得したアイデンティティは『お兄ちゃん』なのだ。

それは彼無くしては決して得られないものだ。

 

でもまぁ、職業柄『こうせよ』と言うのは抵抗があるので、ほんのり方向性を伝えるくらいに留める。

良い相談員は自己決定を促すのだ。知らんけど。

 

 

 

結局、(とりわけ大人になってからの)人生なんてものはどこまで行っても自己決定で主観だ。

人から提案されたことでもそれを選び取るのは自分自身だし、その環境がしんどいか楽しいか、どう捉えるかは自分次第だ。

 

彼が降って湧いた転機にどう向き合うか、それは絶対的に彼が決めなくてはならないし、どっちを選んでも外野がどうこういうものでもない。

 

ただ、主観だけは気楽でいろよと思う。

乗り越えなくてはならないことは、どう捉えても乗り越えなくてはならないのだ。

どちらにしても乗り越えなくてはならないなら、ヘラヘラしていた方がずっと楽だ。

 

そんな哲学でお兄ちゃんは生きているので、今日もヘラヘラ子育てをし、仕事をこなし、夜な夜な曲や詞のことを考える。

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在りし日のおとうととわたくし